コンブリック 1/350 CS35060
露・1等巡洋艦バヤーン・1903・日露
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 全長137m・排水量7835トン・3段膨張式レプシロ機関2基・最大速力21ノット・203mm単装砲2基・152mm単装砲8基・75mm単装砲8基・457mm魚雷発射管2基

1899年3月、フランスのメディテラネ造船会社で起工。。竣工後、ロシア帝国海軍太平洋艦隊に編入される。1903年12月2日、2隻(ツェサレーヴィチ、バヤーン)は旅順港に到着した。

1904年7月27日、戦艦レトヴィザン、巡洋艦パルラーダ、アスコリドとともに出撃し大河湾へ進出して日本軍陣地を砲撃。日本の巡洋艦日進および春日との砲戦後旅順に帰還したが、その際にバヤーンは触雷、損傷。 そのため8月10日の黄海海戦には参加していない。 その後、旅順港内で日本陸軍麾下の28cm榴弾砲の曲射砲撃で損傷、大破した。

1905年1月1日、旅順要塞のロシア軍は降伏。 5月25日、日本海軍は本艦の浮揚作業に着手する。 6月24日、浮揚成功。 8月22日、バヤーンは戦利艦として日本艦籍に編入される。軍艦阿蘇と改名。舞鶴鎮守府籍。 阿蘇は1908年まで改造修理を行う。大修理が必要だったため、横浜沖の凱旋観艦式には参列できなかった。

1909年から1911年まで、練習艦隊で少尉候補生の遠洋航海に従事。阿蘇と宗谷は練習艦として活躍した。第一次世界大戦中は、日本近海の哨戒に当たる。

同時期、日本海軍は機雷敷設艦に改造予定の浪速型防護巡洋艦2隻を相次いで喪失したため、旧式装甲巡洋艦の敷設艦改造に順次着手。「津軽」、続いて「阿蘇」が改造される。1920年4月1日、艦艇類別等級の改正。3隻(阿蘇、津軽、勝力《新造艦》)は敷設艦に類別変更。主砲塔が撤去される。 1922年のシベリア出兵に際しては、沿海州海域に出動した。

1931年4月1日、除籍。阿蘇は廃艦第4号と仮称される。

1931年4月1日、旧式化した軍艦3隻(利根、筑摩、阿蘇)は、それぞれ軍艦および敷設艦より除籍。廃艦第2号、廃艦3号、廃艦4号と仮称。本艦は20cm砲および潜水艦魚雷の標的艦として使用される事になり、準備を行う。

1932年8月7日、砲撃と雷撃による損傷を受け、阿蘇は沈没した。

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