コンブリック 1/350 CS35092
露・1等巡洋艦スウェトラーナ・1898・日露
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 全長101m・排水量3770トン・3段膨張式レプシロ機関2基・最大速力21.6ノット・152mm単装砲6基・75mm単装砲4基

スヴェトラーナは、ロシア帝国の一等防護巡洋艦である。二線級の戦力しか持たなかったため、武装ヨットや補助巡洋艦とも呼ばれた。1895年から1905年にかけてロシア帝国海軍で運用された。艦名は、キリスト教の聖女である聖スヴェトラーナに由来する。1892年に退役した先代のフリゲートから艦名を受け継いだ。


スヴェトラーナの建造は、1895年6月28日にフランスのフォルジュ・エ・シャンチエ造船所で始められた。翌1896年12月には進水し、1898年3月21日を以って戦列に加わった。

当初、スヴェトラーナは海軍元帥用の武装ヨットとして使用された。そのため、スヴェトラーナには平時における外交交渉や、外交接待に際する使用が主として求められた。

日露戦争が開戦すると、スヴェトラーナは第2太平洋艦隊の一艦として戦闘に参加することとなった。極東への派遣を前に武装の換装が行われ、47mm砲4門と75mm砲を装備した。また、無線機と光学照準器が搭載された。スヴェトラーナはセルゲイ・シェイン大佐の乗艦の下、アルマース、ウラール、ジェームチュク、イズムルートからなるロシア艦隊の偵察部隊を率いた。

1905年5月14日の日中に行われた日本海海戦に参加したスヴェトラーナは、敵の砲弾によって艦首に破孔を穿たれ大破した。スヴェトラーナは駆逐艦ブイスツルイを伴い戦線を離脱した。艦長のシェイン大佐は艦をヴラジヴォストークへ逃すことを試みたが、15日朝に大日本帝国海軍の第4戦隊に発見され三等巡洋艦新高および音羽に追撃されることになった。スヴェトラーナは前日の海戦での損傷のため15ノットまでにしか速力が上がらず、18ノットで追ってくる日本巡洋艦の追跡を逃れることが不可能であることは明らかであった。

15日午前9時頃、シェイン大佐は朝鮮半島海岸で自沈することを決意し、艦の進路を西へ変更した。新高と音羽は、距離9000にまで迫ったところで砲撃を開始した。手負いのスヴェトラーナも奮戦し音羽に2発の命中弾を与えたものの、舵機に被弾し蛇行を始めた。午前10時40分、ブィーストルイがスヴェトラーナを離れ逃走を開始した。新高はこれを追った。

戦闘開始1時間を経て、弾切れとなったスヴェトラーナの沈没は時間の問題となった。死傷者は刻々と数を増し、艦内には海水が溢れた。シェイン大佐は艦の自沈を命じたが、弾薬庫は浸水し自爆もならなかった。いよいよ進退窮まったスヴェトラーナであったが降旗は掲げず、敵弾の嵐の中ただ沈没のときを待った。午前10時50分、音羽は砲撃を中止した。このときすでにシェイン大佐は戦死、副官のアレクサンドル・ズーロフ中佐も瀕死の重傷を負っていた。艦長戦死により乗員たちは次々と海面に身を投じた。午前11時6分、スヴェトラーナは横転し沈没した。沈没位置は竹辺湾沖、北緯37度6分 東経129度55分であった。生存者291名は日本の仮装巡洋艦亜米利加丸によって救助された。一方、ブイスツルイは辛くも朝鮮半島沿岸に到達し浅瀬で着底し、乗員の手によって自沈させられた。

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