コンブリック 1/700 CS70487
独・軽巡洋艦ブレスラウ・1912
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全長138.7m・排水量4564トン・蒸気タービン2組4軸・最大速力27.5ノット
10.5cm単装砲12基・50cm魚雷発射管2・機雷120個

1911年5月16日、進水。艦名は現在はポーランド領となっているヴロツワフのドイツ語名である。1912年8月に就役。第一次バルカン戦争を受けてドイツ海軍は11月に地中海戦隊を新編し、モルトケ級巡洋戦艦2番艦ゲーベンと本艦を配備した。ブレスラウはモンテネグロ封鎖に参加した。1914年7月末の第一次世界大戦勃発時、ドイツ地中海戦隊2隻(ゲーベン、ブレスラウ)はイギリス海軍とフランス海軍の追撃を受けて逃亡した。ドイツ帝国とオスマン帝国は軍事同盟を結んだので、2隻も中央アジアへと逃走、8月10日にダーダネルス海峡を通過してコンスタンティノープルに到着した。8月16日をもってドイツ帝国からオスマン帝国に売却され、2隻ともオスマン帝国海軍の軍艦となる。その際、ゲーベンはヤウズ・スルタン・セリム、ブレスラウはミディッリと改名された。1918年1月20日、ヤウズ・スルタン・セリムとミディッリはダーダネルス海峡を出てイムロズ島攻撃にむかった。Kusu湾にいたイギリスのモニター2隻(ラグラン、M28)を撃沈した。それから2隻はリムノス島へ向かおうとしたが、その際にミディッリは触雷して沈没した。
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